日本初のドゥーラ団体を作った女性たち。彼女たちのドゥーラストーリーとは?|出産ドゥーラとつくる、自分らしいお産vol.1

妊産婦さんの出産前後を支える出産ドゥーラ。日本ではまだ馴染みのない存在かもしれませんが、2008年から、日本人の出産ドゥーラの団体「日本ドゥーラ協会」があるのをご存じですか? こちらは日本で最初に立ち上がったドゥーラ団体でもあります。海外で資格を取得した出産ドゥーラたちが任意団体として立ち上げ、約10年後の2019年に法人化。現在は「一般社団法人ドゥーラシップジャパン」として活動の幅を広げています。任意団体当時からの創設メンバーである、理事の薬師寺麻利子さん、松野千恵さんにお話を聞きました。

我が子は産院で100人目の赤ちゃん。お祝いにドゥーラの立ち会い出産を体験

界外:出産ドゥーラになったきっかけを教えてください。

松野さん:27歳の頃、夫の仕事の都合でアメリカのワシントン州に引っ越して、現地で出産することになりました。当時は今ほど出産に興味を持っていませんでしたね。

日本人の助産師さんがアメリカで開業したなでしこクリニックでお世話になっていたのですが、偶然、我が子が産院を開業してから100人目の赤ちゃんだったそうです。「あなたの赤ちゃん、100人目よ」と、いろいろな人がお祝いしてくれたんですね。その中の一人だった看護学生さんが、「お祝いに、私がドゥーラになるわ」と申し出てくれて、ハプニング的に私の出産にドゥーラが付き添ってくれることになったんです。

偶然の出来事ではありますが、彼女に寄り添ってもらったことでとても安心できたんです。出産前後は身体も心も全てゆだねていましたね。付き添っていただいたのはわずかな時間でしたが、彼女が大好きになりました。ドゥーラをしてくれた彼女と助産師のおかげで、私は無事に長男を出産し、育児を始めることができたんです。

界外:そんな奇跡のような偶然があるんですね。そのドゥーラの方はどんな方だったのでしょうか?

松野さん:私よりも年下で、当時おそらく20代前半くらいでした。彼女には出産経験はなかったのですが、私のためにとても尽くしてくれたので安心できました。私のことをジャッジせず、すべてを受け止めくれたんです。彼女のことを心の底から信頼していました。

出産ドゥーラになりたくて、アメリカ滞在中に資格を取得

界外:その後、松野さんご自身はどんなふうにドゥーラになられたんですか?

松野さん:実は、アメリカにあと1年いられるかどうか、というタイミングで出産しました。ドゥーラのすばらしさを実感しながら、日本にはどうやら出産ドゥーラがいないことも知りました。ドゥーラは妊産婦にとってとても頼りになる存在だし、助産師さんとのチームワークもすばらしかった。そう思うと、日本に出産ドゥーラがいないのは残念だと思ったんです。当時、日本にはドゥーラの養成機関はなかったので、日本でドゥーラになるのは無理だろうと。だったら、アメリカにいる今、資格を取得しようと思ったんです。
出産してまもない時期でしたが、夫も全面的に協力してくれました。その結果、講習も実習も終えることができ、日本に帰国してからレポートを書いて、なんとかDONA(国際北米ドゥーラ協会)認定のドゥーラの資格を取得しました。随分無茶をしたけれど、恵まれていたと思います。

界外:講座や実習で何か印象に残っていることはありますか?

松野さん:今はプログラムが変更されているかもしれませんが、私が受講した当時、講座は4日間、週末ごとに朝7時から夕方6時までスケジュールが組まれていました。その講座を受けた後は、実際のお産に付き添います。講座の中で特に印象に残っているのは、受講生たちの最初の自己紹介です。看護師やセラピストなど、いろいろなバックグラウンドの人がいて、みんな生い立ちから話します。その中には、「私のバイオロジカルマザーは……」と話す人がいました。こんなふうに、自分の生みの親や育ての親のことを話すなど、深い話をする人がたくさんいたんです。日本では人と異なる出生だと、そのことをあまり他人に話さない風習があると思いますが、文化の違いを感じましたね。同時に、ここはそんな話ができる安全な場所なんだと思った記憶があります。

「ドゥーラとして何もできなかった」大泣きした日々

界外:ドゥーラの研究者から、「ドゥーラになりたいと思う方は既にドゥーラです」という言葉を伺ったことがあります。私はその言葉が大好きなのですが、松野さんのお話を聞いて、ドゥーラになるために学び合う場だからこそ、自然とそういう人が集まったのかもしれないと思いました。

松野さん:そうかもしれません。そのほかにも、講習中は新しい学びの連続でした。もともと私は日本語教育を学んでいたのですが、論文を書く時は常にデータを活用していました。ドゥーラの講習では、データでは表せない人の内面について考えることばかりだったので、これまでとまったく違う世界観が広がっていて、一つひとつが新鮮でした。

そして、お産に立ち会い始めた時には、一回一回、帰宅した後に大泣きをしていました。

気持ちが高ぶっていたのもあるのですが、「私は今日、何かできたのだろうか……」と自問して、自信がなくて泣いていたんです。妊婦さんのために何かしたいと思っているのに、役に立ったという確信が持てませんでした。何度も大泣きして、自分が思い描いているドゥーラになれていないことをたくさん知りました。知識、気持ち、すべての面において、知らないことばかりだと実感しましたね。

出産する友人からのサポート依頼。導かれるようにドゥーラの道へ

界外:次は薬師寺さんのお話を聞かせてください。どんなきっかけでドゥーラになったのですか?
薬師寺さん:私は日本で助産師をしていて、夫の仕事の都合でアメリカのシアトルに移住しました。アメリカの助産師資格がないと現地では仕事ができなかったので、助産師以外で何かお産に関係する仕事をしたいと思っていました。松野さんが出産されたなでしこクリニックにも遊びに行っていました。

ある時、たまたまお友達が出産することになって、「ドゥーラをしてくれない?」と頼まれたんです。驚いたけれど、お産に立ち会わせてもらうことにしました。それをきっかけに、別の方からも依頼をいただくようになり、約4年間のアメリカ滞在中に30回くらいお産に付き添わせていただきました。夫の会社のビザの関係で私も働くことができたので、運もよかったと思います。

界外:助産師とドゥーラの違いについて論じられることもあると思うのですが、助産師でありドゥーラでもある薬師寺さんはその違いをどう感じていますか?

薬師寺さん:いろんな違いがあります。私が今、ドゥーラシップジャパンで活動をしている理由にもつながるのですが、私は医療者はドゥーラをするべきではないのかもしれない、という思いがあります。助産師は医療者の事情や思いが理解できます。その分、どうしても医療者の目線で接してしまうところがあります。そうなると、妊産婦さんの立場になりきれないところがあると思うのです。お産に立ち会ったあと、私は本当にドゥーラとして妊産婦さんに寄り添うことができているだろうかという疑問が拭えず、「ドゥーラになりきれなかったのでは」と思うこともあります。

そういった思いもあり、ドゥーラマインドの価値がもっと日本で認められるようになってほしいと強く願っています。

「妊婦さんの気持ちに寄り添えているのだろうか」と葛藤

界外:具体的に、どんなときにドゥーラの立場になりきれていないと感じますか?

薬師寺さん:そのひとつとして、医療的な処置を行うときがあります。医療者が必要だと思った処置について、助産師だからこそ理解できる部分があります。そんなとき、本当に妊婦さんの気持ちに寄り添っているだろうかと不安になるのです。妊婦さんはどんな気持ちなのか、本当はどうしてほしいのか。そういった気持ちの汲み取りが、私には足りないのではないかと思ってしまうのです。

医療者にとって出産は何度も立ち会うものですが、妊婦さんにとっては一生に数回の大切な出来事です。その差を考えると、経験で判断しようとする時、妊婦さんの気持ちにはなれていない可能性があると思うのです。

界外:出産は人生に数回しかない大切な出来事だからこそ、それを経験をする人の体験や感情を奪ってはいけない、という想いが強く伝わってきました。

薬師寺さん:妊婦さんがその人らしく出産できて、その体験に満足できることが最も大切だと思っています。ドゥーラは助産師やアロマセラピストなど、いろいろなバックグラウンドや手持ちの札を持っていても、それを前面に出すのではなく、妊婦さんの持っている札を見て、「あなたにはこの札がいいかもしれない」と、その人の能力を引き出すために手助けをする役割です。そう考えると、ドゥーラが表に出てはいけないのだと思います。

松野さんがドゥーラになった当初、「何もできなかった」と泣いていたというお話がありましたが、そういう感覚こそが正解だと思います。妊婦さんが自らの力で出産したから、ドゥーラが何かをした感覚がないのです。寄り添うとはそういうことではないでしょうか。

次回は7/30(金)に公開予定です。
松野さんと薬師寺さんの現在の活動について伺います。活動を通して思うこと、気づきなどをお話いただきます。(つづく)

一般社団法人ドゥーラシップジャパン
https://www.doulashipjapan.org/

松野千恵さん
出産ドゥーラ。日本語教師。一般社団法人ドゥーラシップジャパンの活動では、出産ドゥーラの啓蒙活動のほか、翻訳も手がける。

薬師寺麻利子さん
出産ドゥーラ。助産師。一般社団法人ドゥーラシップジャパンの理事として、出産ドゥーラの啓蒙活動のほか、助産師とドゥーラをつなげる活動も積極的に行っている。

インタビュアー
界外亜由美
産前産後の女性とサポーターをつなぐ「MotherRing」主宰。「MotherRing Journal」編集長。優しさが循環する社会づくりを目指して活動している。「言葉」で伝える制作会社mugichocolate代表取締役。

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ライター / 高梨 真紀

ライター。業界紙記者、海外ガイドブック編集者、美容誌編集者を経てフリーランスに。子育て中の女性や働く女性を中心に取材を重ねる。現在は食、散歩、社会的な活動など幅広く活動。ライフワークとして、女性と子どもなどをテーマにした取材も続ける。2人の娘の母。